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関ヶ原へ行ってきました♪

新しい年になって10日以上過ぎましたが、あけましておめでとうございます!
今年もよろしくです^^
昨年末に行った関ヶ原~北?近江の小旅行の思い出をこれから書いていこうと思います。


新宿から夜行バスで岐阜駅へ♪

岐阜駅には7時前に付きました。駅前の広場にキラキラと光る銅像が!!テンションが上がって眠気が一気に冷め、近くへ小走りしたら足元が滑るので地面を見ると残雪が所々凍ってます。
東京ではまだ雪を見てなっかたのでびっくりしました。

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キラキラ光る黄金の銅像は、織田信長像でした(^^)
「岐阜」ていう名前をつけたのは織田信長でしたね。
信長に黄金って凄くあってる気がします。

そういえば土方さんが、宇都宮戦の時に?自分は織田信長の生まれ変わりだと言って部下を脅かしたんですよね^^

岐阜駅のカフェで時間を潰してJRでいざ関ヶ原へ!!
東海道本線で岐阜駅から大垣駅止まりの電車に乗ってしまったので大垣駅で電車に再度乗り関ヶ原駅へ。



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関ヶ原駅を降りると雪があちらこちらにあります。
駅前の観光案内場は閉まっていました。
関ヶ原に来る季節間違えたようです(:;)
でも来てしまったものは仕方ないということで売店の人に歴史資料館の場所を聞いたら関ヶ原の地図を下さって教えてもらいました^^

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駅から徒歩で行けるとのことで資料館まで徒歩で移動します。
関ヶ原へ来る前は、資料館でレンタル自転車を借りて1日かけて関ヶ原を巡るつもりでしたが道に残る残雪の多さと道が所々凍結してるのを見て自転車で巡るのは無理だなと歩きながら冬に関ヶ原に来たことに後悔してきたのですが上の標識を見つけてテンションが再びあがります^^

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更に歩くと最初の関ヶ原の史跡を発見。
家康の唯一の寵童だったという井伊直政と結城秀康の長男の松平忠吉の陣跡です。

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井伊・松平陣の横には東首塚がありました。
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ここで討ち取った西軍の首を井戸の水で洗い,家康の陣へ運んで検分した後、首塚に埋めたようです(::)
首塚に手を合わせ亡くなった武士達のご冥福を祈ってから関ヶ原町資料館へ向かいました。

資料館に入る前に近くにある徳川家康の最後の陣跡があるということで先にそちらへ行ってきました。

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松山城と先祖縁の地~旅レポ⑦~

大街道駅で下車して松山城に向かいます♪

坂の上の雲ミュージアムや秋山兄弟関係の史跡も途中にあるのですが今回は寄らずに松山城まで一直線!です。
徒歩7、8分くらいでロープウェイ乗り場へ。
私はロープウェイではなくリフトで移動しました。
松山はその頃は紅葉があまり進んでなかったのですが山の上を空中で移動するのはとても気持ちいいものでした^^
松山城は勝山という山の山頂にあります。
賤ヶ岳の七本槍の1人、加藤嘉明が関ヶ原の合戦後に築城を開始し、後に加藤嘉明と代わって松山に入った蒲生忠知の元で完成したとのこと。
この2人の名前は会津の鶴ヶ城でも目にしたので興味がわきました(^w^)
この2人会津と松山の藩主をチェンジしてて面白いなと思いました。

それで、前の所で聞いた話ですが、松山に残ってた河野氏の一部の人が加藤嘉明が会津に移動したと同時に会津について行かず、残りもせずなぜか筑前黒田藩に仕える為福岡に移動したそうです!

水軍として生活してたでしょうから、会津は山の方だからついて行かなかったんでしょうかね?

もし、その河野氏の一族が会津についていってたら会津にも河野氏子孫がいたかもしれないなと^^

黒田長政と加藤嘉明の間で河野氏出身の家来の引継ぎとかどういう経緯でしたんだろとか想像すると面白いなと思いました。
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松山城の今ある天守閣は加藤氏、蒲生氏が築いたものではなく、後に入った家康の甥にあたる家系の松平(久松)氏が再築したものだそうです。

3階建てでそんなに高くないのですが当時のままの城で中の階段が黒谷さんの山門の階段のように急でして怖かったです。でも、歴史を感じていいなと思いました。
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天守閣から、私の出身の庶家のある方の領だったという地区を写真で撮りました。

松山城を出て写真を撮った地域へ電車で移動。
そこの地域にある成願寺に行きました。
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こちらの境内にはこんな石灯篭がありました♪
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この石灯篭は、私の祖先が仕えてた藩の主が奉献したもののようですが、その石灯篭がこの縁の地にあるというのが不思議でした。

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湯築城跡地~旅レポ⑥~

今治から松山まで電車で移動しました。その時期は坂の上の雲の放送を控えてろということで松山どこに行ってもポスターなどが貼ってあって盛り上がってましたね。
駅前には正岡子規の俳句?の石碑がありましたが、それをちょっと見ただけですぐ観光案内所でホテルの予約をしました。
観光客がいっぱいだったので泊まれるホテルがあるか心配でしたがすぐに見つかりました^^
その日はそのままホテルでゆっくりして翌日早く起きて路面電車で道後温泉の手前の駅道後公園で下車しました。
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道後公園の場所には昔、湯築城という河野氏のお城があったそうです^^

1300~1400年の間に河野氏によって建てられた湯築城。
1585年、豊臣秀吉の四国征伐で当時、長宗我部元親の配下にあった河野通直は豊臣方についた小早川隆景に攻められて降伏したそうです。
河野通直が最後の河野氏の当主となりました。伊予の大名、河野氏は滅亡したそうです(T△T)

河野氏が滅びた原因の1つは、本家VS庶家の争いだったとか。
河野氏庶家の末裔になる私の親戚同士が恥ずかしながら、あまり仲良くなかったりしますが・・・遺伝(笑)というか・・・因果関係あるんでしょうか・・・?^^;


道後公園内にある湯築資料館で河野氏に関するNHK政策の映像や資料を見ました。

映像見ながら河野通有さんかっこいいとか思ってしまいました。

ここでも施設の方に、河野氏と祖先のことを質問しました^^

私の庶家の方では、細川頼之氏、西園寺氏、毛利(小早川?)、長宗我部などの家臣に名前が出てくるようです。
また、伊予に残ってる人もいて(当時は、藤堂.加藤領)、関ヶ原の戦いの時は、毛利氏から味方するようにみたいなことを書いた手紙なんかもあると言ってました。

色々お話してくれたんですが、黒田家には結びつかないなあ・・・(::)と

庶家の人に正岡子規とか伊藤博文とか有名な人が出てれば、自分で調べなくても研究家とかが詳しく調べてくれるてるからそれを見ればいいんですけど、残念ながら私が出てる庶家の人には有名人がいなくて自力じゃないと分からないんですよね・・・(TT)
て愚痴てたら係りの方に笑われました^^;

でも、うちの庶家じゃないけど河野氏の他の庶家や家臣の方が筑前黒田藩に何人か仕えてるということを教えてくれました。
その中の経緯で1つ面白いなと思ったことがありましたが後で書きます。

色々貴重な話しを聞いた後、河野氏の本を1つ買い資料館を出ました。


それから近年、公園に隣接した動物園移転に伴なった工事で発掘されたという、河野氏の家臣の武家屋敷跡を見学。
この発見によって河野氏の研究も徐々に盛り上がっていくんではないかということでした。

道後公園から再び路面電車に乗って、大街道駅へ。

国宝がいっぱいの大山祇神社~旅レポ④~

今回の旅は3部構成になってます^^
一部、京都で御陵衛士のお墓参りをメインとした新選組の史跡プチ巡り。
二部、うさぎの島の大久野島でうさぎと戯れる。
三部、祖先の河野氏の史跡を巡る。
というわけで、大三島からは三部になります。

まずは、河野氏の聖地といわれてるという『大山祇神社』へ泊まった旅館の側のバス停から大山祇神社に移動。
大三島はみかんの生産地ということでみかんが至る所になってました^^

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大山祇神社最寄のバス停を降りて目に留まったのがこの石碑。乃木さんの書だそうです。securedownload_20091209004035.jpg
ちらの字は伊東博文のものだそうです。
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伊藤博文は河野氏の末裔で「先祖は河野通有の裔で、淡路ヶ峠城主の林淡路守通起である」といってたのだとか。
ちなみに、久坂玄瑞も河野氏の末裔なんだそうです。(一緒に蛤御門の変を企てた来島又兵衛は村上水軍の末裔だそうです。)securedownloadCAHBLU71.jpg
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大山祇神社の賽銭箱に河野氏の家紋が!
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内閣総理大臣となった伊藤博文が植樹した公記念楠樹です。写真もありました。

大山祇神社は平安時代から「日本総鎮守」と崇められてたそうで海上自衛隊、海上保安庁の幹部、造船会社、船を扱う仕事の会社、保守系の政治家などが参拝に訪にれるようでいっぱい写真が飾られてました。

昭和天皇の海事博物館を訪問したのか?現皇太子様や三笠宮様の写真もありました。(ちなみこのお二方は某所で拝見したことがあったりします^^)
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河野通有が大山祗神社に祈願しに来た時に兜をかけたとされる樹齢1000年以上の楠木。

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こちらは河野氏の子孫の一遍さんが奉納した灯篭です。

こんな感じで、広い境内の中だけでも歴史を感じる自然や建立分などがあり見ごたえ十分な大山祇神社でしたが敷地内にある紫陽殿に展示してる物が国宝いっぱいで圧巻でした!!

ご先祖縁の島で一期一会♪~旅レポ③~

おばさんとおばさんが乗って来たバスの運転手の方が、潮風が寒いからフェリーが来るまでバスの中で待ってなさいと言って下さったのでお言葉に甘えてバスに乗らせてもらいました。

どこから来たのと聞かれたので東京からうさぎに会いに来ました泊まれませんでした。大三島だったら泊まれるホテルか旅館ありますかね?と聞くと旅館などの連絡先が載ったしまなみ街道のパンフレットを下さいました^^

そして、おばさんが『富士見園』なら泊まれるかも知れないから電話して見たらと言われたので電話して見ると泊まれると言うことでほっとしました。
旅館の方にフェリーが着く大三島の盛港からそちらへ行くにはどうやって行けばいいですか?と尋ねていると!おばさんがじゃあ私が連れてってやるよと言って下さいました(^^)

おばさんの親切に感激しました。
フェリーが来たので運転手さんと別れ2人でフェリーに乗り込みました。
忠海から乗ったフェリーは写真のように定員100名でしたが大久野島から
乗ったフェリーは車も乗れる定員も倍以上乗れる大きさでしたが、この日乗った便には私とおばさんの2人だけでした♪
こういうフェリーに乗ったのは小さい頃に乗った若戸フェリー以来です^^

2階の毎日座ってるというおばさんの特等席の隣に座らせ頂きました♪

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フェリーに乗ったのが夕日が沈む少し前で、素晴らしい景色を見るには絶妙な時間帯です(☆▽☆)

写真撮るの下手で瀬戸内海の島に沈むオレンジ色の太陽が沈む素晴らし写真を撮ることができずお見せできないのが非常に残念です。

おばさんは、大三島から大久野島へ働きに来てるとのこと。そして、同じ便のフェリーで帰るとのこと。
毎日、この絶景を見てるとのことで羨ましいですね!と言ったら嬉しそうでした。

フェリーの中でおばさんと楽しくお話^^

大三島と松山に行って、先祖の河野氏関連の史跡を旅するんです♪といったら、おばさんはなんと村上水軍の子孫なんだとか☆
村上水軍といえば日本の水軍では一番有名ですよね。
私は、大河ドラマ毛利元就でその存在を薄っすら知りました。

毛利元就自体にそんなに興味持たなくてよく覚えてません。

ちなみに、今は亡きおじいちゃんがドラマ見ながら俺の祖先も海賊だったんだぞ。水軍は今でいう海賊みたいなもんだと言ってたのを思い出しました。当時は、小さかったし、海賊なんて非現実なものが先祖だと思えなくて冗談だと思ってすっかり忘れてました^^;
祖先が、河野水軍の庶家だと知って、河野水軍を調べてると河野水軍と関係がある村上水軍の情報もでてくることがあります。それで思い出しました・・・おじちゃん、冗談だと思ってごめんね^^;

ちょっと話がずれましたが、おばさんが村上水軍の子孫と知って親しみを感じました^^

10分弱でフェリーが大三島へ到着♪

地理感覚が全くない私は、港降りて徒歩圏内に富士見園はあると思ってたんですが、なんと車で行かないと厳しい距離だとか。

おばさんは小さい軽トラックだけどいいかしらと言われましたが、見ず知らずの私を乗せて連れててくれるだけでありがたいです!!とことで乗せていただきました。

私は、明日は『大山祇神社』に行こうと思ってたので行き方を聞きました。
すると、おばさんが富士見園の近くにバス乗り場がある。時刻表も見てから旅館へ行こうと言って下さいました(T▽T)

一緒に時刻表を見てから富士見園へ送ってもらいました。

盛港から富士見園まで結構な距離な上、おばさんのお家は富士見旅館とは逆方向な道なんだそうです。

仕事からの帰路で疲れてるところすみませんありがとうございましたと言ったら、私が送るって言ったんだから気にせんでいいよと言ってくれました。

全然知らない今日会ったばかりの私にこんなに親切にして下さるなんて・・・こんな時代に・・・言葉じゃ表せないほどの感動を覚えました。
おばさんと会って、富士見園まで1時間くらいの短い間の出会いでしたが、昔から知ってる親戚のおばちゃんみたいな感じで別れる時、ちょっと寂しい気持ちで涙が出そうになりました。

おばさんが教えてくれた富士見園の泊まったお部屋は角部屋で窓からは瀬戸内海の海が(>w<)

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左の山は広島県です。この山を富士に見立てて富士見園と名が着いたそうです。

夕食は旅館の敷地にある割烹で瀬戸内海の美味しい魚介料理を味わいました(^^)
サザエのつぼ焼きとか、鯛めしとか、お刺身の盛り合わせとか鯛の頭煮とか出てきましたが、キスを開かずに丸々揚げた天ぷらを塩で頂いたのが一番美味しいと思いました(^w^)

料理と一緒に頂いた地元の梅酒も美味でした。

朝食もまた豪華でしたよ。

仲居さんと世間話してたら、若い方だったんですけど京都出身の方で上京区の京都御所の近くの生まれなんですって。良いとこに生まれましたね。とかこの前京都御所行って来たんですよとか京都のお話をしました♪

大久野島に泊まれなかったのは残念でしたが泊まれてたら、おばさんとの一期一会も京都生まれの仲居さんとの一期一会もなかったと思うので泊まれなくて大三島に泊まったのは良かったと思います(^w^)

また、大三島というのは先祖の河野水軍と大変深い縁のある島だということでそういう場所で素敵な出会いができたことをとても嬉しく思いました。
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